そばろこブログ

その時々の思いを綴る!

伊達成実公生誕450年記念 特別展

特別展~亘理伊達家の宝物~を観覧しました

 

亘理町立郷土資料館(悠里館)で伊達家の展示があり、無料券をもらったので見に行きました。

伊達家というと伊達政宗を思い浮かべる人が多いと思いますが、最近のゲームとかでは伊達家の家臣なども取り上げられることが多くなりました。

館内では撮影は禁止だったので、受付でもらったパンフレットを参考に簡単に紹介したいと思います。

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目次

 

亘理伊達家

伊達政宗の曽祖父にあたる伊達稙宗(たねむね)の子の伊達実元(さねもと)を祖とする。

実子の成実(しげざね)が亘理に入府してから、14代邦成(くにしげ)が北海道移住するまで、代々亘理の領主をしていました。

期間は、西暦1602年~1870年(和暦:慶長7年~明治3年)です。

 

伊達成実

伊達成実は1568年(永禄11年)に大森城(現福島県福島市大森)で誕生する。

伊達政宗重臣人取橋の戦いでは、伊達勢が敗走する中で少数ながらも大人数を相手に立ち向かい、政宗を逃がし大きな武勲を立てました。

その他の戦いにおいてもたくさん活躍していたようです。

成実の甲冑の兜には特徴があり大きな毛虫を象っています。

これは『戦場では後ろに退かない』という意味を込めているそうです。

 

1602年(慶長7年)に亘理に入府し、仙台藩の成立後は政宗・忠宗(ただむね)の2代を補佐し仙台藩の興隆に尽力する。

亘理では、町割り、寺社、町場を整備し、新田や塩田の開発を行い、亘理の基礎を築きました。

1646年(正保3年)に79歳で亡くなり、墓所の大雄寺(だいおうじ)に霊屋(たまや)が建てられました。

 

特別展では、成実公のお守りや朝鮮出兵の際の戦利品なども展示されています。

 

伊達政宗と亘理伊達家

亘理伊達家の祖である実元の代から政宗の祖父・父の相談役をしており、政宗が伊達家当主を継いだ後も戦や周辺の情勢についてよく相談していました。

成実は政宗と歳が近く、戦では政宗の窮地を何度も救うなど、政宗からの信頼が厚かったことが、政宗から成実に送られた手紙からわかります。

2代目亘理領主の宗実は政宗の九男で、子供がいない成実へ配慮し養子にして亘理伊達家の当主になりました。

 

政宗は宗実を大変可愛がっていたことが分かる手紙が展示されおり、観覧に来た人は手紙を読むことができます。

宗実が亘理に移る際に両親が詠んだ和歌も展示されています。

 

その他

 1868年(慶応4年/明治元年)に戊辰戦争があり、当時の14代亘理領主の伊達邦成が蝦夷地(北海道)に移住する経緯や、政府に領地を支配することを認められたことを示す展示物が観覧できます。

13代亘理領主伊達邦実夫人の貞操院が愛用したものとされる雛人形も展示されていました。

他にも鉄砲や刀『宇佐美長光』なども見れます。

 

感想

初めは名前とどういった活躍をしたのかくらいの知識しかありませんでしたが、当時の手紙のやり取りを読むと今までイメージしていた人物像と違ってくるなと思います。

伊達政宗はゲームだと強いイメージがありましたが、配下の家臣が強かったんじゃないかな!?などなど)

成実公の兜の毛虫と陣羽織?にある香車の駒は成実の性格が出ているのかなと思いました。

(そういえば兜の毛虫の毛は熊毛でできてるって書いてあった気がします。)

 

戊辰戦争の話だと新選組が政府軍と戦った話ばかりに目が言ってしましますが、その後、邦成が敗戦で領地を失い家臣を養うために北海道で開拓をするアフターストーリー的な話も興味が出ました。

いつか北海道に旅行した際は伊達市にも寄ってみたいと思いました。

 

 参照元:パンフレット(特別展 亘理伊達家の宝物)

 

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